イチローの日米の軌跡と伝説化した感動のWBC2009決勝(動画有り)

2018年4月21日

イチローの日米の軌跡

昨日はイチローが頭部に死球を受けた時の詳細に注目して
記事を書きましたが、今日は視点を変えて、日本時代の成績と
メジャーの成績の凄まじさを改めてですが振り返っていきたい
と思います。
神がかり的な記録を残した1994年(オリックス)
ご存知の通りイチローは日本時代はオリックスに1992年から2000年まで

在籍し、1994年には若干二十歳で、シーズン210安打を
記録し、それまでミスタータイガースと言われた藤村富美男さん
1950年に記録した191本の記録をあっさり塗り替えてしまいました。
また、この記録のすごいところはもう一つあり、藤村さんが191本
を打った、1950年はシーズン150試合制に対し、イチローが210安打
を記録した1994年は130試合だったということがあります。
1994年のイチローの安打製造ペースが驚異的なものであったことが
分かると思います。
この年のイチローはほぼ毎日ヒットを打っていたということで、
1994年はノーヒットの日は130試合のうちわずかに13日しか無い
とのことです。
また、2試合連続ノーヒットだったのはシーズン最終戦の疲労が
ピークに溜まった127試合~128試合だけだったそうで、これだけ
見てもまさに驚異的な数字と言えます。
この年の記録は130試合にフル出場し、616打席、546打数、210安打、
率.385を記録しています。

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日本時代の獲得タイトルは下記参照お願いします。

首位打者:7回 (1994年 – 2000年)
打点王:1回 (1995年)
盗塁王:1回 (1995年)※打点王・盗塁王の同時獲得、
最高出塁率・盗塁王の同時獲得いずれもNPB史上初
最多安打:5回 (1994年 – 1998年)
最高出塁率:5回 (1994年 – 1996年、1999年 – 2000年)

イチロー衝撃のメジャーデビュー

2001年にイチローは海を渡りシアトル・マリナーズでプレーをすることになりました。
そして、デビューするなりイチローのプレーは一気にアメリカファンの心を掴むことに成功したと思います。
この2001年のイチローについて、米メディアは下記の様に報道しています。

米メディアがFA移籍直後のシーズンで活躍した選手を選出、
「01年のシアトルは全てが完璧」
2001年にマリナーズでMVPと新人王のダブル受賞を果たした
イチロー外野手(現マーリンズ)が、フリーエージェント(FA)
移籍直後のシーズンに活躍した選手として、メジャーリーグ史上の
トップ10に選出されている。米スポーツ専門サイト「スポーツ・オン
・アース」が「MLB最高の
フリーエージェントデビュー」との見出しで特集している。

/full-countより引用
この記事の中では選手のFA移籍後のWARのトップ10を選出し、
この年のイチローはなんと長いメジャーの歴史において上から
9番目の成績を記録したというもので、驚くべき点だと思います。
WARとは打撃、守備、走塁、投球を総合的に評価して選手の貢献度
を表す指標で、そのポジションの代替可能選手と比較し、どれだけ
勝利数を上積みしたかを表すものらしいです。
WARが3.0だったばあいは、その選手一人でが3勝分の貢献をした
ということらしいです。
この年なんと米国に渡って1年目にして首位打者、盗塁王、新人王、
MVPを獲得しています。
それから10年連続200安打を達成し、首位打者2回、盗塁王1回獲得
しておりますが、文字で書くとこれだけなんですが本当にすごい記録
だと思います。 10年連続200安打・・・ もう出てこないんじゃない
ですかね!

2009年WBCでのイチローの苦難、苦難からの脱却

ここ何年もイチローを見てきて、イチローの応援をしてきま
したが今までで、一番印象にのこった大会といえば迷わず
2009年のWBCといいますね。

このシリーズは、大会開始後からイチローの調子は低迷して
おりかなり苦しんでいたことを思い出します。
特に対キューバ戦ではイチローの調子はどん底の極限状態で
苦難の末送りバントを試みるもバント失敗でアウト。
この時のイチローは痛々しくてみていられなかったですね。
本人のコメントでも「バントの失敗でほぼ折れかけてた心がさら
に折れて、僕だけキューバのユニホームに見えて…」
というぐらい絶望的な状況でした。
実際、この時の成績はイチロー 打率.211 0本 3打点
OPS.500であり、他の人であればベンチに下げられてもおかしく
ない状態ですが、原監督は全試合1番バッターとして使い続けました。
2006年大会の活躍と、日本チームのリーダを外すことはできない。
絶対的な信頼が合ったからだと思います。



2009年WBC決勝戦 伝説へ!

そして迎えた韓国との決勝戦
9回裏3-2と日本がリードする場面で、日本のエースダルビッシュ有
が抑え投手として登板。
しかし優勝への期待が高まる中、まさかの同点に追いつかれてしまい
ました。
ここで決められると思ったんですけどね。
そして、その直後の10回表に運命の時がやってきました、
2死、ランナー2,3塁という場面でバッターはこの試合まで全く
あたっていないイチロー。

もし、イチローが普段どおりの状態であるならば、ここで韓国側は
あっさり1塁を埋めに行ったでしょう。
しかし、打席に立つイチローは絶不調ということで、韓国側も臭いとこ
勝負ということになったのでしょうね。
ピッチャーは後に、韓国側からバッシング受けることになったイムチャイオン。

真っ向勝負のピッチングで追い込んでいくも、イチローも7球粘りそして、
球場が一瞬静まったような気がしました。

そして8球目、センター前にライナーで弾き返し逆転のランナーがホームに
戻ってきた瞬間日本選手原監督のガッツポーズで私も力いっぱいのガッツポーズ
をしたのを覚えています。

現在イチローは44歳となりましたが、古巣のマリナーズに復帰し今年も
再スタートとなっています。
怪我の影響でまだ調整は十分ではなさそうですが、シーズンが始まればまた
すごいプレーを見せてくれると思います。